ひな人形の出荷額で日本一を誇るのが埼玉県です。海もなければ、京の雅ともゆかりの薄い内陸県。それなのに、全国のひな人形のおよそ4割から半分近くが、この県から出荷されています。
その中心を担うのが、さいたま市の北東部に位置する岩槻区。かつては岩槻藩の城下町であり、日光御成道の宿場町でもあった街です。今では「人形のまち岩槻」を名乗り、駅前にも人形店の看板が並びます。
なぜ、京都でも東京でもなく、この内陸の城下町が日本のひな人形づくりを引き受けることになったのでしょうか。
歴史を紐解くと、日光東照宮の造営のために全国から集められた工匠たちが、この土地に生えていた"ある木"に目をつけた、という物語にたどり着きます。
産地の成り立ち、代表するつくり手、そして今どきのひな人形事情まで、じっくり深掘りしていきます。
埼玉県がひな人形出荷額日本一である理由(出荷額・シェアデータ)
まず、数字を確認しましょう。
埼玉県公式サイトによると、2024年 約33億円・シェア45.3%で、全国1位です(2024年経済構造実態調査)。荒川の川幅日本一やさといも・ねぎの生産量日本一と並んで、県が自ら掲げる「埼玉の自慢」のひとつになっています。
驚くのは、これが最近になって手にした王座ではないという点です。
- 平成19年(2007年)の工業統計をもとにした鴻巣市公式サイトの説明では、埼玉県の節句人形は全国第1位・約46%のシェア
- 平成25年(2013年)の工業統計では、埼玉県が58億9000万円でトップ。2位の福岡県16億5000万円に対して約3.5倍の差をつけ、全国計129億8000万円の**約45%**を占めていました
- 平成30年(2018年)の工業統計でも43億円で全国1位。埼玉県が子ども向けにつくっている統計ページには、そのものずばり「節句人形、ひな人形は、埼玉県がずっと1位だよ」と書かれています
調査の名称や集計方法は年代によって変わっているため、金額をそのまま横並びで比べることはできません。ただ、順位に関しては話が別です。平成の工業統計から令和の経済構造実態調査まで、埼玉県はひな人形の出荷額で首位を明け渡していないのです。
もうひとつ見逃せないのが、市場そのものは決して追い風ではないという事実です。
少子化と住宅事情の変化で節句人形の市場は長く縮小傾向にあり、出荷額の水準も往時と同じではありません。それでも2位以下を大きく引き離したまま王座を守り続けているところに、この産地の底力があります。
では、その日本一を実際に支えているのは県内のどこなのでしょうか。
産地の中心はさいたま市岩槻区。はじまりは日光東照宮の造営でした
埼玉県のひな人形づくりを長く牽引してきたのが、さいたま市岩槻区です。
東照宮の工匠と、まちに植わっていた桐
岩槻人形協同組合の解説によると、産地のはじまりは寛永年間(1634〜1647年)にさかのぼります。三代将軍・徳川家光が日光東照宮を大規模につくり替えた際、全国から腕利きの工匠が集められました。その一部が、日光御成道の宿場町だった岩槻に住みつきます。
彼らが目をつけたのが、周辺に数多く植えられていた桐でした。
まず桐箪笥などの桐工芸が興り、その加工で出る「桐粉」が、人形の頭(かしら)をつくる材料になります。さいたま市公式サイトも、岩槻の人形は「桐工芸産業の副産物である桐粉を材料として人形づくりがはじまったと考えられています」と説明しています。
もうひとつ、岩槻には決定的な条件がありました。水です。
人形の頭には胡粉(ごふん)という白い顔料を何度も塗り重ねますが、この胡粉を溶かし、発色をよくするには水質が大きく影響します。岩槻の水はこの作業に向いていたと伝えられています。
つくり手が集まり、材料があり、水があった。3つがそろった結果として、岩槻は人形のまちになりました。
なお、産地の起源には別の説もあります。
元禄10年(1697年)、京都堀川の仏師・恵信が日光からの帰路に岩槻で病に倒れ、回復後もこの地に留まって、桐粉としょうぶ糊を練り、型で抜いて人形の頭をつくりはじめたという伝承です。
どちらの説にも共通しているのは、桐と、腕を持った職人が外から来たという点でしょう。
藩の専売品から、国指定の伝統的工芸品へ
岩槻の人形づくりは、幕末には岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業に育ちます。
明治に入ると五月人形も含めて生産は拡大し、大正4年(1915年)には45軒が集まって岩槻人形協同組合が結成されました。昭和13年(1938年)には200数軒にまでふくらんでいます。
そして平成19年(2007年)、「岩槻人形」は経済産業大臣指定の伝統的工芸品になりました。
岩槻人形協同組合によると、この産地指定を受けている企業は約160社。平成21年(2009年)には伝統工芸士会も発足しています。これに先立つ昭和53年(1978年)には「江戸木目込人形」も伝統的工芸品に指定されており、岩槻はふたつの国指定工芸品を抱える産地ということになります。
岩槻人形の特徴は、頭と目がやや大きい丸顔の愛らしい顔立ちと、華やかな彩色です。
制作は「幾百」といわれる工程に分かれ、頭づくり、手足づくり、衣裳つけ、小道具づくり、組立と、それぞれの職人が分業で担います。とくに頭は熟練を要し、目のはめ込み、胡粉の重ね塗り、目鼻の切り出し、磨き、面相筆による描き入れ、植毛と、細かな段階を踏んでようやく一体分が仕上がります。
県内には、岩槻以外にも産地がある
埼玉県が強いのは、産地が岩槻ひとつではないからでもあります。
鴻巣市公式サイトによると、鴻巣もまた「約400年の伝統を誇るひな人形のまち」です。
江戸時代には11軒のひな屋が軒を連ね、明治35年(1902年)には31軒の業者と300人の職人を抱えるまでになりました。当時は岩槻・鴻巣・江戸十軒店が「関東三大ひな市」と呼ばれ、鴻巣雛の人気ぶりから江戸の人形師との間で職人の引き抜き騒動が起き、南町奉行所で争われた記録まで残っています。産地同士の競争は、そのころから相当に激しかったわけです。
さらに越谷市も江戸木目込人形の産地として知られています。岩槻・鴻巣・越谷という3つの産地が県内にそろっていること。これこそが、埼玉県が長く首位を守り続けてきた最大の理由です。
代表企業・ブランド紹介
産地を代表するつくり手を、老舗から順に見ていきましょう。
- 人形の東玉(さいたま市岩槻区):創業は江戸嘉永5年(1852年)。初代・戸塚隆軒が献上した人形により「東玉」の名号を賜ったと伝わる岩槻の老舗です。現在は7代目の雛匠が技を継ぎ、全国約300店への卸売と直営店の運営、人形博物館や写真スタジオまで手がけています。
- 小木人形(さいたま市岩槻区):大正5年創業。江戸時代初期から岩槻周辺に伝わる木製手造りの「ねりがしら」の技術を守り、三代にわたって頭師の仕事を受け継いできました。一体を最初から最後までひとりの人形師が仕上げる、手づくりならではの個性が身上です。
- 柿沼人形(越谷市):1950年創業の江戸木目込人形の工房。伝統工芸士・柿沼東光の名で知られ、木目込みの神楽や錦鯉のオブジェなど、伝統の技法を現代のデザインに接続する新作を次々と発表しています。
老舗が衣裳着人形の格式を守り、木目込みの工房が新しい表現を切り拓く。役割の違うつくり手が同じ県内に共存しているのが、埼玉の産地の強みです。
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デザイン・技術のトレンド
桐塑と胡粉、そして木目込み
岩槻の核となる技術は、桐粉に膠(にかわ)を混ぜた「桐塑(とうそ)」で頭や手足の形を起こし、胡粉を塗り重ねて磨き上げる一連の手仕事です。仕上げの面相筆でまなざしが決まり、そこから人形の表情が生まれます。
一方の江戸木目込人形は、桐塑などでつくった生地に細い溝を彫り、そこへ裂(きれ)を挟み込んで衣を着せていく技法です。
さいたま市岩槻人形博物館の解説によると、もとは京の加茂人形の技法が江戸に伝わって定着したもので、岩槻には戦争疎開などで移り住んだ職人によってもたらされました。型を使うため一定の量産ができ、粘土から形を起こすので造形の自由度が高いという特徴があります。伝統工芸でありながら、新しいモチーフに挑みやすい技法だというわけです。
買い手が求めているのは「大きさ」だった
つくる側の話だけでなく、買う側の変化も産地を動かしています。
節句人形メーカーのふらここが2024年10月に実施した調査(3歳以下の女児を持つ雛人形購入者300名が対象)では、雛人形を選ぶときにもっとも重視した点として「サイズ」を挙げた人が28%で最多でした。次いで全体のデザインが20%、価格が14%と続きます。複数回答では、実に約9割がサイズを重視したと答えています。購入予算は「7万〜10万円未満」が最多で、5万〜15万円が過半数を占めました。
七段飾りを置ける和室が減り、マンションのリビングに似合うコンパクトな親王飾りやケース飾りが主流になった。数字はその変化をはっきり示しています。造形の自由がきく木目込人形の存在感が増しているのも、この流れと無関係ではありません。伝統を守るだけでなく、暮らしの側に寄せていくこと。産地が今取り組んでいるのは、そういう仕事です。
買う・見るなら、さいたま市岩槻人形博物館へ
産地の空気を味わうなら、まずは岩槻へ足を運ぶのがいちばんです。
中心にあるのが、令和2年(2020年)2月に開館した「さいたま市岩槻人形博物館」。
日本画家であり人形玩具研究家でもあった西澤笛畝(にしざわてきほ/1889〜1965年)のコレクションを柱に、5000点以上の人形と関連資料を所蔵する、人形専門の博物館です。展示室では江戸木目込人形の作品や解説も見られます。
- 所在地:さいたま市岩槻区本町6-1-1
- アクセス:東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅東口から徒歩約10分
- 開館時間:9時〜17時(入館は閉館の30分前まで)
- 休館日:月曜日(休日の場合は開館)、年末年始(12月28日〜1月4日)
- 観覧料:常設展は一般300円、高校生・大学生・65歳以上150円、小中学生100円
※特別展は別料金です。会期や料金は変わることがあるため、訪れる前に公式サイトで最新情報を確認してください。
まちの行事も見どころです。岩槻人形協同組合は春の流しびな、夏の人形のまち岩槻まつり、11月3日の人形供養祭を三大行事として続けており、ひな祭りの時期には店先の人形を見て歩く「まちかど雛めぐり」も開かれます。人形店が集まる本町・仲町界隈を歩けば、産地としての厚みが実感できるはずです。
もちろん、遠方からでも手に入れる方法はあります。
岩槻の主要な人形店はオンラインショップを持っており、Amazonや楽天市場でも岩槻の工房が手がけた親王飾りやケース飾りを購入できます。設置場所の寸法を測ってから選ぶこと。これが失敗しない最大のコツです(価格や在庫は変わることがあるため、購入前に各サイトで最新情報を確認してください)。
おうちで楽しむなら、ふるさと納税も
さいたま市の「ふるさと応援」寄附(ふるさと納税)でも、人形のまちらしい返礼品が用意されています。
さいたま市公式サイトでは、返礼品の一例としてさいたま市岩槻人形博物館の入館券が紹介されています。岩槻の人形店による木札などの品もあり、寄附を通じて産地を応援することができます。
返礼品の内容は入れ替わることがあるため、各ふるさと納税ポータルサイトで最新のラインアップを確認してみてください。
まとめ
ひな人形の出荷額日本一は埼玉県。約37億円という数字は、2位以下を大きく引き離した、平成から令和まで揺るがない王座です。
その土台にあったのは、桐が植わり、胡粉に合う水が湧いていたという土地の条件でした。そこへ日光東照宮の造営という歴史の巡り合わせが、腕を持った工匠を運んできます。藩の専売品となり、大正の組合結成を経て、平成19年には国の伝統的工芸品に。岩槻・鴻巣・越谷という3つの産地が競い合いながら、400年近くかけて日本一を育ててきたわけです。
来年のひな祭り、飾られた内裏雛の顔をのぞき込んでみてください。何度も胡粉を塗り重ね、面相筆でまなざしを描いた誰かの手が、埼玉のまちにあったかもしれません。
番外編:埼玉には、もうひとつの"ひな人形日本一"がある
出荷額とは別に、埼玉県にはひな人形にまつわるもうひとつの日本一があります。鴻巣市の「鴻巣びっくりひな祭り」です。
産地であることをPRしようと2005年にはじまったこのイベントは、メイン会場のエルミこうのすショッピングモールに、31段・高さ7mという日本一高いピラミッドひな壇が出現することで知られています。サテライト会場も含めると、まちじゅうに飾られる人形は約1万体。2025年は市制施行70周年記念として2月19日から3月8日まで開催され、21回目を数えました。
つくる日本一と、飾る日本一。同じ県のなかにその両方があるというのは、なかなかできすぎた話ではないでしょうか。開催時期はおおむね2月中旬から3月上旬なので、来年の予定に入れておくのも一興です。
✅出典
- 埼玉県の自慢話(埼玉県公式)
- 埼玉県が一番…工業製品(埼玉県公式)
- 鴻巣雛(鴻巣市公式)
- 節句人形・雛人形の生産額の都道府県ランキング(平成25年・経済産業省「工業統計」より/地域の入れ物)
- 岩槻について・人形について(岩槻人形協同組合)
- 組合関連組織(岩槻人形協同組合)
- 岩槻の人形イベント・行事(岩槻人形協同組合)
- 岩槻の人形(さいたま市公式)
- さいたま市岩槻人形博物館 公式サイト
- 江戸木目込人形(さいたま市岩槻人形博物館)
- さいたま市岩槻人形博物館(VISIT SAITAMA CITY/公益社団法人さいたま観光国際協会)
- さいたま市『ふるさと応援』寄附(ふるさと納税)の返礼品を紹介します(さいたま市公式)
- 会社概要(人形の東玉)
- 会社概要(小木人形)
- 株式会社柿沼人形(東京手仕事)
- 2025年雛人形市場におけるブランド知名度と選ばれる理由(株式会社ふらここ)
- 31段高さ7メートル"日本一高いピラミッドひな壇"を エルミこうのすショッピングモールに展示(グンゼ株式会社)
- 岩槻人形博物館で開館5周年記念特別展を開催します(さいたま市公式)